そうしてツギハギを縫い合わせた 


 身体中に咲き乱れた赤い花と懺悔に近い告白にどう返事をしたか覚えていない。幼なじみとしてずっと傍にいた彼を恋愛対象として見たことがなかったのに好きだと言われ抱かれても実感なんてひとつも湧いてくれなかった。
 行為の最中痛いくらい想いが伝わってきて私はどれほどローを苦しめていたのかと涙が止まらず自分への嫌悪感が募ったことを鮮明に覚えている。気づけなかったことに申し訳なさを覚え謝罪の言葉を口にしたがローは聞く耳を持ってくれなかったのも。ローの気持ちを想像するまでもない。私の謝罪なんて聞かなくて当然だ。私の謝罪の言葉に意味はない。ただローとの関係が終わるのが嫌で縋るために謝ったに過ぎないのだから。そんな上辺だけの謝罪では何も解決しない。
 ローに抱かれた日からはや一ヶ月。解決していないのを裏付けるかのようにローと連絡は一切取れていない。いつもなら私からの連絡には一日と空けずに返事をしてくれていたのに二週間も未読のままだ。
 仕事はなんとかこなせているけれどそれ以外は上の空でローからの返信が来てやしないかとスマホと睨めっこする日々。抱かれた日を思うとローの家を訪ねるのも気が引けて何も出来ないまま時間だけが過ぎた。
 好きだと告げられる前のただの幼なじみであった頃、私はこんなにローの事を考えた日があっただろうか。ローに初めてキスをされた公園を訪れ冷たいベンチに腰掛ける。
 辛いことがあったら必ず話を聞いてくれたロー。やれ彼氏と喧嘩した、振られたと騒ぐ私の話をどんな思いで聞いていたのか。
 そもそもローはいつから私を好いてくれていたんだろう。ずっと好きだったの"ずっと"はいつを指すのか。気づかず傍にいる私をどんな目で見ていたのか想像もつかなくてそれが罪悪感を助長させた。
 ローからの返事を期待してスマホを鞄の一番上に置く。誰かからのメッセージを受信する度確認して肩を落とすを数度繰り返した。
『ローが好きそうなお店見つけたよ! 今度行こ!』
 敢えてあの夜には触れずいつも通りのメッセージを心がけた。けれどそれは悪手だったのだろう。かといって今から送り直しても余計に拗れるだけだ。
 肘を膝につけ、祈るように組んだ手を額に持っていく。
 ローに会いたい。それは紛れもない本心。けれどその本心の理由が自分でも不明瞭だった。ローと幼なじみに戻りたいのか別の関係になりたいのか。別の関係とはなんなのか。私にとってローは何があっても傍にいてくれる大切な存在だった。私もローに何かあれば一番に優先してきた。それは幼なじみだから。昔から当たり前にいる人だからそうあって当然だと思い込んでいた。お互い彼氏や彼女といった特別な存在が出来ても私たちの関係は変わらないのだと。それは誤りだったとこうなるまで気づかないだなんて。
 迷った末ローとのトーク画面を開いて通話ボタンを押す。どう転ぶにせよ二十数年の付き合いになるローとの関係がこんな形で終わるのは嫌だった。エゴでもなんでも話したかった。耳元でコール音が数度鳴る。やっぱり、もう出ないかな。
 諦め耳に当てていたスマホを離そうとした瞬間、コール音が鳴り止み騒音が聞こえてきた。

「っ、ロー!?」

 有り得ないほど音を立てる心臓がうるさい。画面越しに聞こえてくるはずのローの声に耳をそばだてた。
 けれど届いたのはローの声ではなく。

『ごめんなさいね、今トラ男くん酔い潰れてて……。言伝なら預かるけど』

 寒空の下に置いた身が更にキンと冷える。ローとは幼なじみなだけあって他の誰よりも長い付き合いになる。それでもその長い付き合いの中でローが酔い潰れるところなんて見たことがない。いや、それよりも。私がこんなに悩んでるのに女の人と一緒にいたの?

「……っ。馬鹿と! そうお伝えください!!!」

 身勝手なのは百も承知。それなのにどうしようもなくカッと頭に血が上り、勢いで押し切り相手が何か言う前に終話ボタンを押した。好きって言ったくせに! と八つ当たりに近い激情に呑まれて頭を抱える。悩んでるのは私の勝手。ローからの好意を知って尚今まで通りでいたいなんて思う私の方こそ本当に馬鹿でしかない。そうと分かりきっていても言わずにはいられなかったのは何故なのか。
 重々しい溜め息を吐きスマホを鞄の奥底に突っ込んだ。最近ローの知らない一面を見せられてばかりだ。いや。

「私が、知ろうとしてなかったのかな……」

 幼なじみだから知ろうとせずともなんでも分かり合えるなんて幻想だ。そんな当たり前に今更気づいて何になる。
 もう何もかも遅すぎると諦めてローのいない生活に慣れるしかないのかもとの考えが脳裏を過り目の前が真っ暗になった。今からでもローの事が知りたいと願うのは傲慢だろうか。
 

 ◆


 なまえを無理矢理抱いて訪れたのはやっと手に入れたという高揚感ではなく虚無感だった。身体だけ思い通りにできたからなんだと言うのか。独占欲を示す赤を身体中に散らし好きだと告げる。その間なまえは声を出さずひたすら唇を噛み締め涙を流していた。そこまで拒絶の意を示されたら完全に終わってしまったと思うのも致し方ないだろう。
 だが終わったとしてもなまえを離してやるつもりはなかった。ここまで泣かせたのなら一緒だと。犯して縛り付けてでも手元に置く気でいた。少なくとも抱き潰して眠りに落ちる瞬間までおれになまえを手放すという選択肢はなかった。
 手放す選択肢が生まれたのは目が覚めた後だ。おれが起きた後もぐったり四肢を投げ出して意識を飛ばしたままのなまえを見て冷水をぶっかけられた心地になった。手を当てた頬は寝ている間も泣いていたのか涙でしっとりと濡れており冷たい。抱いた直後の興奮で湯だった頭が睡眠を挟んだことで冷えたのも相まっておれがこんな風にしたのだと言いしれない後悔の念が迫り上がり胸中を支配する。ギリ、と痛いくらい拳を握りしめた。
 言い訳をするなら正気じゃなかったの一言に尽きる。けれどどこまでも幼なじみとしてしか見ないなまえに対しとっくに限界を超えていたのも事実で。おれの名を泣きながらうわ言で呟くなまえにじんわり帯びていた現実味がハッキリしてくる。辛そうにおれの名を呼ぶなまえに、もう幼なじみですら居られなくなったと理解したがどうしようもなかったとしか言い表せず項垂れた。

「……ロー?」
「……起きたか」
「……。うん……、あっ」

 目覚めたなまえが青ざめた顔で謝るのも見ていられず、顔を合わせないまま言葉を遮って服を押し付けた。リビングに居ると言い残し寝室を後にする。バタバタと着替えを済ませたなまえが思いの外大きな声で「ロー」と呼んだ。それに答えることはせず、背中を押して早々に家から追い出した。追い出されても尚帰る気はないのか、締め出した玄関の外でもう一度ローと呼ぶ声がする。その声に背を向けたところで足元に何かが当たった感触がした。視線を落とすと昨日なまえが持っていたスーパーの袋がそのまま転がっているのが目に入った。突き返す為に玄関を開ける気にもなれず、食材が入ったままのスーパーの袋を冷蔵庫の奥に押し込んだ。
 スマホがうるさく音を立てている。見ずとも分かる。なまえだ。いっそ口汚く罵ってくれれば良かったのだ。そうすれば幾分かマシな気分になれる。
 やがて音は止み静寂が訪れた。スマホの画面には数件の着信履歴とメッセージ。画面に残された謝罪とさよならの言葉。あァ、もう終わっちまうのか。そう思った途端いてもたってもいられず足早に廊下を駆けた。どこまで非を背追い込めば気が済むのか。行為の最中気づけなくてごめんと一言零したなまえの悲痛な表情が蘇る。謝るのはおれの方だと言うのに。玄関の扉を開けた先にもうなまえはいなかった。

 
 最近様子がおかしいと、妙に目敏い麦わら屋に捕まった。肩を組まれ、飲みに行くぞと居酒屋に連れ込まれたかと思えば一等酒に強いゾロ屋とナミ屋が既に酒に呑まれた状態で待っており、物の見事に巻き込まれる形になった。
 二週間程前なまえから届いたメッセージにどう返信するか考えあぐねていたのは事実。だがこの連中に付き合って解決するはずもないのは明白だった。

「とにかく肉食え肉!!」
「酒飲むか?」

 休む間もなく追加されていく肉と酒。こいつらは肉と酒で全ての悩みが解決するとでも思っているのだろうか。おれが頼むまでもなく目の前に続々と酒と肉が積まれていき、渋々手をつける。最近悩んでるんだって? と聞くくせに大して踏み込もうとはせず勝手に酒盛りを始めるこいつらに呆れが先行する。ある意味ここ数日の悩みの種を忘れるには最適な環境ではあるが。

「……酒、寄越せ」

 元々誰かに話を聞いてもらいたかったわけでもない。開き直って付き合おうと運ばれてきたジョッキを傾けた。


 ◆


 頭の内側から響く痛みと霞む視界の中徐々に意識がハッキリしてくる。最後の記憶はと言えば居酒屋で麦わら屋達と飲んでいた所までで、その後どうしたかは定かではなかった。

「あ、ロー起きた」
「は?」

 ダルい身体に鞭を打ち身を起こす。キッチンでお茶を淹れるなまえがにこやかに手を振った。

「お前、なんで」
「ローが酔い潰れて帰るに帰れないから迎えに来いって言われたの」

 麦わら屋となまえは果たして知り合いだっただろうかと首を傾げる。お茶を差し出してきたなまえが「ローの最後の通話履歴に私がいたからかけてきたみたい」と疑問の答えを口にした。

「お前と通話なんかしたか?」
「ローが酔い潰れてる時にかけてたの。言伝も伝えたんだけど……聞ける状態じゃなかったよね」
「言伝?」

 オウム返しをするおれの向かいに腰を降ろしたなまえが力なく笑う。まだ頭痛は治まらなかったがここでも話を遮るわけにもいかないことだけは察し、なんとかなまえと視線を合わせた。

「まぁ、言伝は一旦置いておいて……。まずね、一つ謝らせて欲しいの」
「謝んのは」
「ううん、だってあんな衝動に出るくらい私がローを追い詰めてたってことでしょう? 私、ローは幼なじみで何があっても隣にいてくれるって思い上がってたの。ローの気持ちをちゃんと考えたことなんてなかった。考えてるつもりになってただけ」
「…………」
「ローの気持ちを知った今でも自分がどうしたいのかは……ごめん、分からない。でもこのままローと終わるのだけは嫌」
「だったら、どうする?」

 我ながら意地が悪い質問だった。正直こうなった以上なまえと以前と同じように気持ちを押し殺して付き合うなど不可能だ。これまで通りと言われても頷きかねる。

「ローは馬鹿だと思うだろうけど……。もう一度、抱いて欲しい」
「………………は!?」

 意味を咀嚼し終えるまで数秒。思わず立ち上がったのも無理はないだろう。付き合いだけは長いがなまえの考えがさっぱり読めず押し黙った。

「あの時は幼なじみなのにこんな事するのはおかしいって、そう思ってた。だから拒絶したのもあるんだけど。でもあれから私も色々考えて……。幼なじみって関係に固執しすぎたのかなって」
「だからってなんで抱くとかいう話になるんだ」

 あまりに突飛な考えに散々悩んだのが嘘みたいに肩の力が抜ける。溜め息は隠さずなまえに続きを促した。
 
「や、だって。私ローのことちゃんと考えたことあったかなって思って。幼なじみだから男の人として見るなんて有り得ないって思いすぎてたというか」
「それが抱かれたいの理由になるかよ」
「だっ抱かれたいというか……! あぁもう、だからね。一旦幼なじみっていうのをとっぱらって考えてた時にローが女の人といるって知ったらなんかこう、モヤモヤ……ってして。この気持ちはなんなんだろうってまた分からなくなっちゃって。だから気持ちをはっきりさせるためにもっ」

 おれの幼なじみは想定より余程馬鹿だったらしい。聞いていられなくなり額を指で弾くと痛っと声を上げてなまえが蹲った。

「抱かねェよ」
「だって……」
「だってもクソもあるか」

 これ以上とんでもないことを言い出さないうちに話を切り上げようと口を開いたがそれより先になまえがおれの袖を引っ張った。

「私だってもう大人だしそれなりに出会いも別れも経験してきたけど、ローに会えなくなるのだけは耐えられそうにないの」

 長年想ってきた女にそう懇願されて折れない男がいるなら是非お目にかかりたい。なまえの震える指を絡め取り目線を合わせた。

「……ずっと、なまえに返事をしなかったのはおれがお前に会って正気を保てるか自信がなかったからだ。いいか、おれはなまえが想定するよりずっとお前を想ってる。こんな状態でおれと居たいと言われても叶えてやれねェ。これまで通りに戻るなんざ無理だ」
「…………そ、うだよね」
「だがそれでもおれの傍にいると言うなら……もう、逃がしてやれねェ」

 なまえが目を瞬かせる。ここが分かれ目だ。こうなった以上これまで通りただなまえの隣にいるなど出来そうもない。けれどなまえがおれの手を取るというのなら二度と泣かせるつもりはない。
 おれの指ごと額に手を持っていったなまえが安堵の息を吐いた。指先が震えているのは気のせいではないだろう。しばらく待ってなまえが絞り出した答えはあんな夜を過ごしたにしては僥倖だった。

「離さないで、欲しい」

 おそらくなまえの気持ちはおれほど大きくはない。だが傍にいると決めたのはなまえ自身だ。その事実におれは思いの外満足していた。それにいずれおれがなまえを想うのと同じくらいおれを想うようにしてやるという気概くらいはある。

「撤回はなしだ」

 幼なじみという関係は壊れたがここからだ。幸せそうに花笑んだなまえの指先にキスを落としたところでようやくここ数日のモヤが晴れた気がした。


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